スペイン南東部アリカンテ県ビリェーナの市立博物館(MUVI)から、青銅器時代の金製品「ビリェーナの財宝」が盗まれて1か月がたった。8月27日(木)の未明、犯人は窓の防護を破って侵入し、警報が鳴ってからわずか4分ほどで、金の腕輪や鉢のほぼすべてを持ち去った。財宝は紀元前1000年ごろのもので、博物館は「ミケーネの王墓の財宝と並ぶ、青銅器時代で最も重要な金の器の一式」と位置づけている。9月28日の時点で、逮捕も回収も発表されていない。警察が2024年7月、開館して間もない博物館に「24時間365日の民間警備員」や窓の鉄格子を勧める報告書を出していたことも明らかになっている。事件の夜、館内に警備員はいなかった。市は「勧告であって義務ではなかった」と説明している。市議会は全会一致で調査委員会の設置を決め、9月29日に初会合を開く予定だ。欧州刑事警察機構(ユーロポール)は事件の3日前、金は溶かされると追跡が難しくなると警告する報告書を出していたが、それを受けた注意喚起が博物館に届いたのは事件の翌日だった。博物館は休館中で、市長は11月ごろの再開を目指し、1981年に作られた複製で展示を組み直す方針と報じられている。
午前5時20分からの4分間
アリカンテ県の政府副代表マヌエル・ピネダの説明によると、博物館の警報が鳴ったという通報が警備会社から治安警察(グアルディア・シビル)に届いたのは、午前5時23分だった。犯人は5時20分ごろに侵入し、5時24分には建物を出ていた。館内にいたのは4分ほどだったことになる。
地元紙の報道によると、犯人はまず裏手の補強された扉を破ろうとして失敗し、すぐ横の窓の防護を破って中に入った。市の説明では、財宝を収めていた装甲展示室のガラスに穴を開けて持ち出したという。防犯カメラには覆面をした少なくとも3人が映っていた(6人とする報道もある)。報道では、近くの住民が、高級車2台が高速道路A-31号線をマドリード方面へ走り去るのを目撃した。車には、同じ夜に隣町サックスで路上に止めてあった別の車から盗まれたナンバーが付けられていたと報じられている。
警報が鳴る数分前の5時16分ごろには、博物館から約2キロ離れた市営のスポーツ施設でも警報が鳴っていた。地元では警察の注意をそらすための陽動を疑う声が出ているが、当局は二つの警報の関連を確認していない。
市は、博物館には5系統の警報装置と暗視カメラ、装甲展示室があり、「すべての装置が侵入を検知した」と説明している。ラウラ・エルナンデス館長も、警備の基準を満たす認証を受けていたと述べた。博物館は事件の後、休館している。
残されたのは銀の器と「隕石の鉄」
博物館の公式な説明によると、財宝は金の鉢11点、金の腕輪28点、金の瓶3点と小さな金の部品、銀の瓶3点、琥珀と金のボタン、鉄と金でできた飾りの部品、鉄の腕輪1点などからなる。数え方によって全部で59点、あるいは66点とされ、重さは合わせて約10キロに達する。
セルダン市長によると、犯人が残していったのは銀の器3点と腕輪1点、それに杖の飾りの大部分だった。何点が盗まれたのか、市は正式な一覧を公表していない。AFP通信は「50点を超える」と伝えている。残された腕輪は、隕石に含まれる鉄で作られたものとされる。財宝には隕鉄を使った品が2点あり、ニッケルの含有量の分析からそう判定された。スペインの一部の報道は、犯人がただの鉄と見て置いていった可能性を指摘している。
被害は財宝だけではなかった。博物館に預けられていた、町の守護聖母ビルヘン・デ・ラス・ビルトゥデスと幼子イエスの冠4点のうち、1948年に作られた金の冠2点と、1713年に寄進された銀の冠の計3点も盗まれた。一方、同じ館にある別の金製品「カベソ・レドンドの小財宝」(金の品35点)は無事だった。
価値について、セルダン市長は記者団に、金の地金としての値打ちを150万〜170万ユーロと説明した(AFP通信)。日本では「3億円相当」として報じられた。市の関係者はEFE通信に、保険や移送のときに使う評価額は約500万ユーロだと明かしている。ただ、3,000年前の工芸品としての価値は、金の値段では測れない。
2年前の報告書は「24時間の警備員」を勧めていた
警察が博物館の警備に助言していたことは9月上旬に報じられ、事件から1か月の9月28日には、スペイン紙エル・エスパニョールと地元紙が、2024年7月3日付で市長と館長に宛てた「ビリェーナ博物館(MUVI)の総合的な警備」と題する報告書の詳しい中身を伝えた。作成したのは、バレンシア州政府に配属された国家警察の部隊とされる。報告書は、「24時間365日」の民間警備員の配置、外に面した窓への鉄格子か金属シャッターの設置、振動を検知する装置、耐性の高い防護扉、周辺の交差点での車両監視カメラの設置、市の警察が映像を確認できる仕組みなどを勧めていた。
博物館が本物の財宝を展示して開館したのは、その約3週間前の2024年6月14日だった。改修工事中はレプリカを展示し、本物は銀行の金庫に保管していたと報じられている。
市は、報告書の中身は「勧告であって義務ではなかった」と説明している。市政与党の社会労働党(PSOE)のハビエル・マルティネス報道官は、24時間の警備は「市だけでは負担できない費用だった」と述べ、州の予算に警備費の上乗せを求める修正案を2年続けて出したが通らなかったと主張した。窓の鉄格子は火災のときの避難の規定と両立しないこと、侵入口になった場所は非常口の通路で物理的な防護に向かないこと、報告書自体が博物館の技術的な対策を高く評価していたことも挙げている。館長は、認証の基準を上回る補強もしていたと述べた。
予算をめぐっても対立がある。野党PPの州議会議員らは、博物館の警備・監視の予算が2025年の1万ユーロから2026年は3,000ユーロに7割減ったと指摘した。市は削減ではないと否定し、2025年は新しい警報装置の導入費がかかり、設置した後は日々の保守費だけになったためだと説明している。一方でセルダン市長は事件後、「きっと、もっとできることがあった」とも語った。
市議会で野党の国民党(PP)のミゲル・アンヘル・サルゲロ報道官は、「すべてが完璧に機能したというのは、十分な説明とは思えない」と市を批判した。PPが提案した調査委員会の設置は9月2日の臨時本会議で全会一致で可決され、博物館の建設の経緯から警備、展示の計画までを調べる。地元紙によると、委員会は9月29日の朝に非公開で初会合を開き、委員や日程、話を聞く相手を決める予定だ。
文化財行政を担うバレンシア州政府は9月3日、盗まれた品の一覧や警察の報告書、展示ケースの証明書などを10営業日以内に出すよう市に求めた。同時に国に対して、博物館の警備を強める具体的な手順と、そのための財源を求めた。スペインでは今年、4月にバダホス県立考古学博物館、7月末にアルバセテ博物館でも盗難が起きており、文化省は9月10日、各州と警察を集めて博物館の盗難対策を話し合った。
捜査は「秘匿」、金は溶かされるのか
捜査は治安警察アリカンテ管区の司法警察が担っている。管区長のフランシスコ・ポヤト大佐は9月8日、捜査は進んでおり最優先で取り組んでいると述べたうえで、「今は秘匿と慎重さを守るのが賢明だ」と中身の説明を控えた。容疑者の特定や逮捕、財宝の回収は、9月28日までに発表されていない。報道では組織的な犯行との見方が出ているが、当局はそれを裏付ける情報を明らかにしていない。
アリカンテ大学の先史学教授マウロ・エルナンデスは、「周到に計画されていた。やり方も、動き方も、逃げ方も分かっていた」とラジオ局カデナSERに語っている。専門家が最も恐れているのは、財宝が溶かされることだ。各品の合金の成分は分析で記録されており、あまりに有名なため、そのままの形で買う人はほとんどいないとみられている。だからこそ、金としての値打ちだけが目当てなら、溶かされて二度と戻らない恐れがある。
ユーロポールは事件の3日前の8月24日、欧州の博物館を狙う盗難の手口が変わりつつあると分析する報告書を公表し、金などは溶かせるため盗まれた品の追跡が難しくなると警告していた。スペインの文化省がこの報告を各州に伝えたのは8月28日の午後1時18分で、州から博物館に届いたのは同じ日の午後2時ごろだった。事件の翌日である。
1963年、涸れ川の砂利の中から
財宝が見つかったのは1963年の秋だった。砂利の中から出てきた金の腕輪が町の宝石店に持ち込まれたのをきっかけに、考古学者ホセ・マリア・ソレールらが12月、町の郊外の涸れ川で、壺に収められて埋められていた一式を掘り出した。紀元前1000年ごろのもので、イベリア半島で見つかった先史時代の金の工芸品として最も重要な一つとされる。
バルセロナ自治大学の先史学者ラファエル・ミコは米誌ナショナル ジオグラフィックに、「私たち共通の考古学的遺産が攻撃された。私たちの一部を失った」と語っている。
ルーヴルの8分、ビリェーナの4分
この事件は、2025年10月19日にパリのルーヴル美術館で起きた宝飾品の強奪を思い起こさせる。犯人は朝9時半ごろ、アポロン・ギャラリーに窓から入り、全体で8分足らず、館内には4分ほどしかいなかった。盗まれたのは8点で、パリの検事は被害額を8,800万ユーロと公表した。逃げる途中で落としたウジェニー皇后の冠は見つかったが、残りは少なくとも2026年8月の時点で戻っていない。報道によると、これまでに11人が拘束され、うち5人が正式な捜査の対象になった。ユーロポールの報告書も、ルーヴルの事件を、狙いを絞った手荒な手口への変化の例に挙げている。
違いもある。ルーヴルは世界で最も来館者の多い美術館で、事件は開館直後の朝に起きた。ビリェーナは人口3万5,000人ほどの町の市立博物館で、事件は警備員のいない夜明け前に起きた。世界的な文化財を小さな自治体が守るという構図の弱さが、今回の事件で浮かび上がった。
日本の読者への解説
紀元前1000年ごろといえば、日本列島では縄文時代の終わりごろにあたる。その時代に、イベリア半島の人々は約10キロもの金を使って、鉢や腕輪を作っていた。しかも、その一部には宇宙から落ちてきた隕石の鉄が使われていた。ビリェーナの財宝は、スペインの人々にとって、国の成り立ちよりはるか昔の暮らしと技術を伝える、かけがえのない手がかりだった。
残された鉄の腕輪が「金より貴重」と言われるのには理由がある。スペインの研究者が学術誌『トラバホス・デ・プレイストリア』に発表した分析で、この腕輪と、鉄と金でできた小さな部品の2点が、隕石の鉄で作られていたことが分かった。イベリア半島で隕鉄製と確認された品はこれが初めてだという。紀元前1000年ごろのこの地域では、まだ鉱石から鉄を取り出す技術が広まっておらず、研究者は、空から落ちてきた鉄が金や銀と同じくらい貴重な素材だったとみている。隕石の鉄で作られた古代の品としてはエジプトのツタンカーメン王の短剣が有名で、2022年には千葉工業大学の研究チームが蛍光X線による分析で、その製法と起源に迫った。
日本でも、この事件は「3億円相当がわずか4分で盗まれた」として報じられた。ただ、1か月後に見えてきたのは、手際の良さよりも、守る側の弱さだった。警察は開館直後に24時間の警備員を勧めていたが、市は費用などを理由に置かず、夜間は警報装置とカメラ、装甲展示室で守っていた。警報は鳴り、カメラも犯人を映した。それでも、警察が着いたときには、犯人はすでにいなかった。
地方の博物館が、世界に一つしかない文化財を限られた予算で守っている状況は、日本の地方の博物館や資料館にも通じるところがある。今回の事件の後、バレンシア州政府は国に対して、博物館の警備を強める手順と財源を求めた。どこまでの警備を自治体に義務づけ、その費用を誰が負担するのかは、文化財を持つどの国にとっても避けられない問いになる。
ビリェーナ博物館は9月29日の時点で休館している。スペイン紙エル・デバテによると、市長は11月ごろの再開を目指しており、盗まれた品の場所には、1981年に文化省の修復家が巡回展のために作った真鍮製の複製を置く方針だという。残された本物の銀の器や隕鉄の品と、複製をどう組み合わせて見せるかは検討中とされる。訪ねる予定がある人は、再開の時期と展示の中身を事前に確かめてほしい。













